歌川広重(Utagawa Hiroshige)について
歌川広重(1797-1858)は、江戸時代の浮世絵師である。
本名は安藤重右衛門といい、「安藤広重」と呼ばれたこともある。
江戸の定火消しの安藤家に生まれ家督を継ぎ、その後に浮世絵師となり、風景を描いた木版画で大人気の画家となり、ゴッホやモネなどの西洋の画家にも影響を与えた。
広重の作品は、ヨーロッパやアメリカでは、大胆な構図などとともに、青色、特に藍色の美しさで評価が高い。
この鮮やかな青は日本古来の藍(インディゴ)とは違い、当時ヨーロッパから輸入された新しい顔料であるベロ藍つまり紺青である。木版画の性質から油彩よりも鮮やかな色を示すため、欧米では「ジャパンブルー」、あるいはフェルメール・ブルー(ラピスラズリ)になぞらえて「ヒロシゲブルー」とも呼ばれる。
ヒロシゲブルーは19世紀後半のフランスに発した印象派の画家や、アール・ヌーヴォーの芸術家らに影響を与えたとされ、当時ジャポニスムの流行を生んだ要因の一つともされている。
天保4年(1833年)、傑作といわれる『東海道五十三次』が生まれた。この作品は遠近法が用いられ、風や雨を感じさせる立体的な描写など、絵そのものの良さに加えて、当時の人々があこがれた外の世界を垣間見る手段としても、大変好評を博した。
『名所江戸百景』は広重最晩年の作品であり、その死の直前まで制作が続けられた代表作である。最終的には完成せず、二代広重の補筆が加わって、「一立斎広重 一世一代 江戸百景」として刊行された。江戸末期の名所図会の集大成ともいえる内容で、119枚の図絵から成る。
何気ない江戸の風景であるが、近景と遠景の極端な切り取り方や、俯瞰、鳥瞰などを駆使した視点、またズームアップを多岐にわたって取り入れるなど斬新な構図が多く、視覚的な面白さもさることながら、多版刷りの技術も工夫を重ねて風景浮世絵としての完成度は随一ともいわれている。その魅力は江戸の人々を魅了し当時のベストセラーとなり、どの絵も1万から1万5千部の後摺りを要したほどだった。
実際に「大はしあたけの夕立」や「亀戸梅屋舗」を模写したゴッホ、「京橋竹河岸」に触発され『青と金のノクターン-オールド・バターシー・ブリッジ』を描いたホイッスラーをはじめ、日本的な「ジャポニスム」の代表作として西洋の画家に多大な影響を与えたシリーズでもある。
画像出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム・The Metropolitan Museum of Art